2010年8月17日火曜日

日本の大学の罪 モラル・ハザード(新潟大学、琉球大学、東京女子医大)

『免疫』とか『ホメオパシー』とかの言葉自体に『論理を持つ奇跡』を抱腹している様で、信じた人たちのなかで人命に係る事件が発生している。
共通して言える事は、登場する立役者(ベンダー)がそれなりの社会的地位を持ち、尚且つ、一般の人達(バイャー)には難解な医学や科学を商品としている点である。

何故医療に補償と言う概念が存在しないのであろうか?物質とは異り人体の個体差を数値化(モデル化)出来ない事を原因としているのか。それとも、倫理的側面、即ち医療とは非ビジネス(福祉:ボランティア)の領域にあるからであろうか。
この隙間にビジネスとしての『免疫本』や『ホメオパシー』が介入してきた。
ビジネスとしてなら当然その代価として、購買側は利益を得なければならない。

安保徹(新潟大学大学院医歯学総合研究科教授)氏

2001年『医療が病をつくる』から免疫をベースとした著作出版をしており、帯津良一氏との共書もあり、2010年迄には大凡50本は下らない出版数である。
『がんも自分で治せる!・・・』等、タイトル自体からもコミック本としか思えないが、深刻ながん病態を抱えた人や、初期癌の人達が半ば医学書として購読している。社会的不利益の大きい代表的な本ではなかろうか?

安保氏が著書のタイトルに唱う如く『免疫で癌が消える』保障がなされていない場合は、誰が考えても『犯意性のある明らかな罪』が成立しないか。
安保氏の著作内容を理由とした治療の遅れで死に至らした場合の責任の所在は自業自得であるのか?断じて自己責任では無い。何故なら普通の社会生活に適応しうる一般常識は充分備えていると推認出来るからである。
この犯罪もどきの責任は新潟大学が安保氏に肩書きを授与した事で成立している。

医療の世界に確立されていない未完成な医療パッケージを持ち込み、ビジネスを展開するならば、医師自ずからの自殺行為となろう。
商品としての『免疫療法』は未だ完成された物では無く治験段階にある。民間医療施設なら兎も角、大学病院で有料治療実施は控えるのが当然であるべきだ。

川嶋朗(東京女子医大付属自然医療研究所クリニック所長)氏
大瀧丈二(琉球大学理学部準教授)氏
この両氏はホメオパシー系である。ホメオパシーとは超希釈した物質を水に溶解させて励振させて波動とかを記憶(パターン)させるらしい。何が原料でその製造工程も僕は知らない。水の分子を共振させるらしいが、振動させると電子のポテンシャルが高くなって活動し始め、分子構造が不安定になり水ではいられなくなる。お湯になり、やがて蒸発してしまう。 電子レンジの話では無い筈だ。ホメオパシーの科学性は立証されていると反論はしているが、我々の前にその数字が姿を現さない。論理式すら見えない。ホメオパシーは物質であるのだから、そこには物理が存在する。論理式で記述できる筈である。水は化学反応も無い安定した物質でアンモニアと違い振動すらない。
(アンモニアはその自己振動を利用して原子時計に使用されている)
大瀧氏は客観的な検証すら拒否している。思考実験で十分であるらしい。理由は実験当事者の能力差で得られる結果が違ってくる為らしい。(不確定原理の人間版か?)
理論が正しければ誰がしても、レシピ通りの手順で常に同じ解が得られる筈である。この普遍性が科学ではなかろうか。数字で表現できない理論は未だ仮定の段階で、とても完結された真理とは言えない。学問の入り口にしかない。沖縄ではホメオパシー人口が多いと聴く。医療施設の少なさか、大瀧氏の存在か、どちらかが影響していないか。

安保氏の免疫論はガレノス論が下地に見え隠れするが、大瀧氏の思想の背景には現代医療や論理性を否定した一見懐古主義的にも思えるが、どうも、NボーアとAアインシュタインを足して2で割った難解さが窺える。大瀧氏は二人を超越したスーパ科学者か?
ホメオパシーについては多くのサイトで批判しているので重畳は避けるが、問題はホメオパシーに医師が介入し、利権を得るべく主張しだした事である。『ホメオパシーの処方を医師のみとせよ』と言い出しているのだ。東京女子医大付属自然医療研究所の診療科目にホメオパシーを加えたのは川嶋氏か?川嶋氏主催の研究会か塾だかで処方権の主張をしていると聴く。で、あるならば医薬品の認定を受けたと同義語で、信じられない世界が出現する。この川嶋氏が会長を務める波動医学協会の実態とはホメオパシーではないのか?
東京女子医大の意図は常識では図れない。
東京女子医大も東京医大も医療の原点に戻り考え直すべきではなかろうか。

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