2010年7月3日土曜日

存在の意味論

形ある物から全ての物体を取り除いた後に残るものは、数値である。これは数学だが、では、その物体から物体が持つ機能、役割を取り除いたあとには、何が残されるのか・・・

人で賑わう、とある場所で献血の行列に並んだ。手術後1月程経た時の事である。主治医W助教の言った非自己血の被輸血者の献血拒否の言葉を思い出したからである。(12月14日 【続】エホバ)説明を聞くと、ご遠慮下さいとの事である。言葉で列を去った。暫くして涙が滲み、やがてそれは嗚咽と代わった。もう僕は普通の人で無い、皆んなと一緒で無い、それは孤独感からか、寂寞とした寂寥感からかは分からない・・・

12月24日(続)立ち上がれるよな?日本↑↑(K大学の理由)では、勃起神経移植を手術の決定的理由としたが、それは今でも否定はしない。が、本当の事を証すと、効果には然程確定的な期待は無かったのである。現に両神経を残したオペでも勃起回復が如何に困難かの事情は既に得ていたからである 。では何故なんだろうか?前立腺癌と知られた家族や友人には神経移植で2~3週間位で元に戻るから。と、言い訳がましく嘘の説明していた。その心理的理由とは何だったんであろうか?同情や哀れみを避けたいが為であろうか?

実態の見えないボヤけた自分の言動の輪郭が鮮やかになったのは、献血辞退での嗚咽の後である。W助教は献血拒否が怒りとなったが、私は涙となった。その根底の想いは恐らく同じであろう。寂しさからや悔しさで無く、孤独感からでも無く、疎外感からではなかろうか?乳癌で乳房を切除された女の人は男の愉悦の為に偽豊胸する訳では無いだろう。勃起神経移植も自己の愉悦の為にだけでは無いであろう。義手も、義眼も、外観的美学でも無く、只ひたすらに疎外感から逃れるためではないだろうか。だとすれば、機能もしない只の物体の存在の意味は疎外感から自己を守る為のもの、それは愛ではなかろうか?他人に対する愛、自己に対する愛、それは今の私には解らないけれども・・・

実存は本質に先に立つ。  ジャン・ポール サルトル
存在とは愛である。 ヒューマニズムである。Ina.Takasi

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